Aokistencerの日記

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孫氏の兵法

  平安貴族に代わって歴史の主役に躍り出た武士たちも、当初は前述の源義家のような例外を除き『孫子』を活用することは少なかったと考えられています。中世における戦争とは、個人の技量が幅をきかせる一対一の戦闘の集積であったためであるらしく。『孫子』のような組織戦の兵法はまだ生かされることはなかったとされています。ただ南北朝時代楠木正成北畠親房は『孫子』を学んだという逸話が残っています。しかし足軽が登場し、組織戦が主体となると、『孫子』は取り入れられるようになっていきます。幾人かの戦国武将には容易にその痕跡を見出すことができるみたいです。ただし、山本が当時の史料『看羊録』によって指摘するように、戦国武将は孫子などの兵法書を持っていても、読解する能力がなく「物読み坊主」といわれる漢文の解釈ができる僧侶に講義をしてもらって理解していたとされています。中でも、武田信玄が軍争篇の一節より採った「風林火山」を旗指物にしていたことは有名であるらしいです。ただし全般的に見て鎌倉から室町、戦国期において孫子はそれほど重視されていたわけではなく、中国兵書としては『六韜』や『三略』の方がより重視されているみたいです。